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2013年 01月 09日
あけましておめでとうございます。ベトナムは元日しか休日ではないのであんまり盛り上がりません。今年は土日が近かったので、お役所は1/5の土曜の休日を12/31に持ってきて4連休にしたそうですが、まあそれでもそんなもんです。こちらはテト(旧正月)の方が本格的で、前後しばらく仕事にならないそうなので、そこで日本に帰ることにして、この連休はベトナム中部のフエ・ホイアンに旅行してきました。
写真は全部フォト蔵にアップロードしておきます。写真の説明ももうそこに書き込むので良かったら見に行って下さいな。この日記からもグループごとに一応リンクは張っておくけれども。 中部はこの時期は雨期の終わりなんだそうで、特にフエではずっと雨でした。寒かった…。ただ、フエからホイアンに行く途中にあるハイヴァン峠を境に雨はかなり減って、1/1のホイアンは快晴といっていい晴れ方になってました。 位置関係としては北からフエ・ハイヴァン峠・ダナン(ベトナム中部最大の港町)・ホイアンとなっていて、北からの雨雲がハイヴァン峠で遮られる形になるみたいですな(どうもここのブログgoogle map使えないっぽいので各自地図でも調べてください←)。 地理ヲタ的な話をもうちょっとするならば、交通の難所として知られた急峻なハイヴァン峠がダナン湾に張り出していて、このダナン湾は陸に近い割に水深がけっこう深そうなことが読み取れました。そのため大型船が出入りしやすい良港なのでしょう。 フエはベトナム最後の王朝、阮(Nguyen)王朝の都があった街。王城などフエの建造物群は世界遺産に指定されています。ベトナム戦争ではいわゆるテト攻勢で激戦となり、王城の建物はかなりのものが米軍による空爆で破壊されました。 フエに到着して、まずは郊外の帝廟群を見て回りました。Minh Mang(明命帝:第2代)・Khai Dinh(啓定帝:第12代)・Tu Duc(嗣徳帝:第4代)の順。 今回は日程の大半が雨だと予想していたので、いつものパンケーキレンズではなく、今のカメラのキットレンズとして入手した防滴仕様の12-50mmレンズをメインとして運用してみたわけですが。安心して撮れるしあらゆる意味で便利なレンズだけど、これ使うならコンデジでもあんま変わらんよなーとは思わないでもなかったかな。 そして、防滴だからといってそのまま振り回していたところ、水滴がレンズにつくとやっぱり写り混むことが判明…orz。広角だとはっきり見えて、望遠だと全体的に曇ったようになりました。やっぱタオル必須っすね。 建築様式としては2代と4代が似たような中国様式(?)なのに対して、12代には一目で分かる西欧の香りがありますね。Tu Duc帝の時代にベトナムはフランスの保護国にされ、Khai Dinhの時代には西欧文化がかなり王宮にも入り込んでたようです。ちなみにTu Duc帝の帝廟は彼の生前に作られ、離宮として使われたそうです。ま、そりゃそんな時代に生きてたら浮き世を離れたくもなりますわな。 帝廟のあとはフエ王城等をさっさと巡る。この辺から雨と寒さでちょっと厳しくなってきた。400キロぐらいハノイより南なんだけど、どうも寒気がタイミング合わせて流れ込んできていたみたいで、ハノイの通常よりもむしろ寒いぐらいでした…。 世祖廟には歴代皇帝の位牌が置かれています。阮朝は1945年に退位したBao Dai(保大帝)を含めて13人の皇帝がいますが、そのうちここに位牌が置かれているのは10人だけ。臣下の反感を買って即位2日で廃された5代、半年でやっぱり臣下に毒殺された6代、それからラストの13代は祭壇が無いのだと。もちろん帝位ってそれ自身が物騒なものではあるけれど、4代さん以降のフランス保護国時代は反乱しようとして流刑にあった人も少なからずいるしホント禍々しいっすね。 翌日はフエからダナン経由でホイアンへの移動。途中にベトナムを南北に分ける交通の難所、ハイヴァン峠があります。日本の援助でこのハイヴァン峠を貫く長いトンネルが2000年頃にできたため、速く安全に通過できるようになりました。が、ツアーは敢えて峠を攻めます。その割に峠の砦とかスルーしたけどね…。あとは、東南アジア最大の潟湖、タムザン湖-カウハイ湖系をずっと左手に眺めながらの移動でした。ホント長い(てかデカい)…。 ダナンは割と大きな街だけど、見る物はあまりないらしく昼ご飯だけ済ませてさっさとスルー。ダナンを出て直後にあるのが五行山…だけど、このツアーでは別に上にも行かずに麓の石像屋で時間をつぶすことに。この五行山はちょっと面白くて、周囲がずっと砂浜みたいな平坦な土地なのに突然石灰岩の山がぽこぽこ5つばかり顔を出している。そんなわけで昔は大理石の産地だったらしいけど、最近は掘り尽くして輸入石材でお土産の石像を作ってるとか。なんだそりゃ。 そしてホイアン。その昔は海のシルクロードの中継地として交易で栄えた港だったそうで、日本も鎖国するまでは日本人コミュニティがあるほどでした。町のトレードマーク、来遠橋は通称「日本橋」。そんな古い町並みが残るホイアンは世界遺産に…。 …なあ、なんでどこの家もお店やってるの?なんでこの英語のクソ通じにくいベトナムで道ばたの屋台までCom Gaと書かずにChicken Riceとか書いてるの!?…まるでディズニーランドのモールか何かのようでしたはい。ベトナム人はこういう古くさい街にはあまり行かず、海外の観光客ばかりが押し寄せるんだそうで。 次の日の元日は、さらに世界遺産のミーソン遺跡を観光。ベトナムといえば基本的には中国文化圏なわけですが、中部以南は割合最近まで、チャンパ王国というインド文化圏の王国が栄えており、その聖地がミーソンでした。建物とかどう見てもインドっぽいし、文字もサンスクリット語です。ついでにホイアンの伝統舞踊はどう見てもインドっぽい踊りでした。ここの遺跡は物によっては結構壊れてるんですが、これも例によって米軍に破壊されてます。いやまあ戦争やってて片方だけ悪いとは言わんけど、はい。 ちなみにベトナム中部は世界遺産の宝庫で、この他にフエからちょっと北に離れたところにあるフォンニャ洞窟という奴もあります。 ホイアン市内は、前日の午後が自由行動、元旦午後は簡単なツアーがありましたが、元旦にはすかっと快晴になって暑いぐらいに。なんで自由行動の時に晴れないんだよ…。 総括としては、ベトナム人ガイドさんの日本語が下手でしんどかった(ぉぃ。いやあれなら英語ツアーに参加した方が良かったかもと思う程度には。あと要らない土産物屋回るぐらいならその時間を博物館や名所に充てろと思うことがしばしばあって辟易。もともと1都市行くだけならツアーに参加するつもりなんて無かったんだけど、フエとホイアンを欲張ろうとしたときにその都市間交通が不安だったので、つい頼ってしまったのですよ。だけど、これぐらいの観光地のホテルならツアーデスクがどこでもあるし、何とでもアレンジしできそうなので、これからは好き勝手に移動しようと思います。ホイアンはもういいかなと思うけど、フォンニャ洞窟を含めてフエにはリベンジしたいかも。特に雨期じゃない頃に…。
by sotono_hito
| 2013-01-09 00:00
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